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2024.12.19スタッフブログ
記録に残る日本最初の土壌汚染問題とは
記録に残る日本最初の土壌汚染問題とは
記録に残る日本の土壌汚染
2003年、日本では土壌汚染法が定められました。
それ以前の土壌汚染問題はどうだったのでしょうか。
ここでは記録に残る日本の土壌汚染について見ていきたいと思います。
最初の土壌汚染は「鉱害」
日本の記録に残る最初の土壌汚染問題は「鉱害」です。
日本では今から約120年前、1900年代初期 明治時代には鉱業が栄えていました。
鉱害による土壌汚染問題で代表的な事件が「足尾銅山鉱毒事件」です。
足尾銅山鉱毒事件は4大鉱毒事件のひとつで、鉱山から排出された鉱毒ガスや鉱毒水により周辺の地域の河川や土壌が汚染され、大規模な被害をもたらしたのです。
この鉱毒による汚染被害に対し、当時の政治家の田中正造をはじめとした活動家が声をあげたのですが、政府から根本的な対策が実施されることなく、この問題は戦後まで見過ごされてきました。
足尾銅山鉱毒事件
足尾銅山鉱毒事件を聞いたことあるという方は多いのではないでしょうか。
足尾銅山鉱毒事件とは、1900年代初期(明治時代初期)頃から現栃木県日光市にあった「足尾銅山」で起こった公害事件です。
1877年に明治政府は栃木県北西部にある足尾銅山を、古河市兵衛に払い下げました。
その後、古河市兵衛は開発を進め銅鉱の生産量が増えました。
しかし、当時銅の採掘をしていた「足尾銅山」から有害な廃棄物の影響によって渡良瀬川の魚が死んだり、川沿いの畑の農作物がかれたり周辺の環境や人に大きな被害をもたらしたのです。
栃木県の衆議院議員だった田中正造が、この問題を取り上げたのですが政府側は、まったくやる気を見せなかったのです。
しかし、田中正造は明治天皇へ直訴を行ったりなど、生涯をかけてこの問題に取り組んだことでも有名でしょう。
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